3話「構造の死角」MURDER BY THE BOOK

米国初放送:1971.9.15
NHK総合初放送:1973.8.25
ピーター・フォークの年齢:43歳
ゲストスター:ジャック・キャシディ(役名:ケン・フランクリンさん。推理小説家。声:田口計

今回の犯人、ケン・フランクリンさんは、ジム・フェリスさんと二人組みで推理小説を発表している、売れっ子作家。だが、じっさいに執筆しているのは相棒のジムさん。ケンさんは、いわば広報担当で、推理小説を書く腕は、持ってはいない。ジムさんは、作風を一新し、文芸作品を書きたくなり、したがって推理小説家としての、ケンさんとのコンビを解消したいと言い出す。ケンさんは、流行作家のスポークスマンという、おいしい役どころを失うわけだ。それはイヤだ。ケンさんは、承諾したフリをして油断させ、ジムさんを殺してしまう。ねらいは、ジムさんにかけた生命保険金。

二人組みの作家の片割れが死んだ場合、「版権はどうなるんです?」と、コロンボが、ケンさんに尋ねた。印税収入目当てのコロシかと、思ったわけだが、ケンさんの答えは「それは遺族のものです。」。

被害者ジムさんのオフィスの、インテリアがとてもすてき。置物の趣味は悪いけどねぃ。家具は必要最低限で、シンプルで、理想的な仕事場だわ。一面、ガラス窓で、高層ビルからの眺めが、気持ちよさそう。

ケンさんの犯行を知り、彼をゆすって金をせしめようとする女が、とてもキモい。出っ歯の隙間からもれるカスレ声も、人間性も、すごくキモい。コロンボシリーズには、この女のように、殺人犯人をゆするやつが、たびたび登場するが、その都度思うのだけど、こいつらは、なんですぐに警察に届けないのだろうか。(そんなことしたら、コロンボが活躍する前に、話しが終わってしまうというアレはさて置き。)

殺人犯なんかから、わずかな金を無心して、その後、どんないい生活ができると思うのだ。ケンさんをゆすった女は、金だけでなく、男女の関係まで要求する。そんなことで抱かれて、なにが嬉しいのだ。遊び人ケンさんへの横恋慕に苦しんできた気持ちは、わからんでもないが、この女は、彼の秘密を握ったことをほくそえみ、共犯者気取りを楽しんでいる。愚かだ。彼が人殺しだとわかったら、冷めてしまえばいいのに…そうはなれない、女心の浅はかさだな。

だが、だが…惚れた相手の悪に左右されないだけの、確固たる価値観を持ってさえおれば、自滅せずに済むのだ。

ケンさんをゆすった女は、自分の雑貨店を持っているのだから、お店を繁盛させるよう、熱心に働けばいいのにな。それこそが、市井の幸福というものじゃないか。彼女のお店は、リゾート地に一軒しかない雑貨屋なんだから、工夫すれば、今よりもうけることだって、いくらも出来るじゃないか。熱心に働くこと=幸福だという価値観を、彼女が持っていたならば…

そう、ケンさんもね。作家の相棒と別れたぐらい、なんだというのだ。自分の社交性を生かして、新しい仕事をはじめればよかったのに。ケンさんには、文才はなかったけれど、マスコミと渡り合える処世術という、素晴らしい才能があったのだ。それを生かせばいいじゃんと、前向きには考えられなかったのか…作家の仕事がなくなるとふんで、相棒の生命保険を手に入れるために、殺してしまうなんてね、ハイリスクローリターンよ。動機は、出っ歯女と同じ、やっぱり金、そして虚栄心。

コロンボシリーズに登場する、ふとしたきっかけでユスリ屋と化してしまう市民像、ふとしたきっかけで殺人にまで手を染めてしまう犯人像は、あぶく銭に目をくらませて、いいことなんかひとつもないという、作者からの教訓なのだろう。

地道に働くことこそが、市井の幸福なのである。市井の幸福こそが、人間性の勝利である。これこそが、刑事コロンボシリーズの、根底にある大テーマなのだ。そう、我らがヒーロー、コロンボ氏。彼の人間性を見よと。なにが幸福なのか、どんな人間が、すばらしいひとなのか。コロンボを見ればわかるんだ!

今回の「おいしそうな食べ物」その1は、ユスリ出っ歯女が、ケンさんに、バーでふるまってもらった、びっくりイチゴスペシャル。巨大カキ氷に、イチゴがたくさん突き刺してあるデザートなのな。

その2は、コロンボが、被害者ジムさんの奥さんに作ってあげた、チーズオムレツ。チーズは、作る直前にすりおろして、粉チーズにするのがポイント。